特別寄稿

受給年齢の選択を考える

神奈川県立保健福祉大学 名誉教授 山崎 泰彦
神奈川県立保健福祉大学 名誉教授 山崎 泰彦

繰り下げ受給選択の留意点

 その情報提供だが、繰上げ・繰下げ受給にあたっての年金制度上の留意点については、市町村・日本年金機構・共済組合等の関係機関の窓口や広報をとおして、その詳細が説明されている。また、社会保険労務士等の専門家による年金相談の基本事項にもなっているので、ここでは一切触れない。
 しかし、そのような年金制度の枠内でのメリット・デメリット以外にも、留意すべきことがあるように思うので、以下それを書き留めておきたい。

【繰上げ・繰下げの年金額は等価か?】

 現行制度では、65歳を支給開始年齢としながらも、60歳から70歳の間での選択が認められていて、どの年齢で受給開始しても受給者全体としては損得なく、したがって年金財政上の影響もない減額率・増額率が設定されていると説明されている。
 当然に、短命であれば繰上げ、長命であれば繰下げが合理的な選択だということになる。実際に、国民年金では65歳未満の老齢年金の失権率が他制度よりも高いが、これは繰上げ受給を選択している者の死亡率が他制度よりも高いためと考えられている(社会保障審議会年金数理部会「平成26年財政検証・財政再計算に基づく公的年金制度の財政検証(ピアレビュー)」、平成28年2月、pp.50~51)。
 現在の繰上げ・繰下げの増減率(60歳30%減額~70歳42%増額)は、寿命の伸長等を考慮し、平成12年の政令改正で定められ、13年4月2日から施行された。それ以前は、最初の受給者の発生に合わせて設定された増減率(60歳42%減額~70歳88%増額。それぞれ昭和41・46年施行)のままに長く据え置かれていたから、寿命が大きく伸長するなかで、改正直前では繰下げのほうが驚くほど有利になっていた(ただし、それでも繰下げ受給者がほとんどいなかったのは今日と変わらない)。
 平成12年改正の新たな増減率設定に当たっては、厚生労働省年金局数理課の説明によれば、11年財政再計算で依拠した年齢別死亡率や経済前提を使っているという。
 年齢別死亡率は平成7年の完全生命表によるもので、当時の65歳平均余命でみると、男16.48年、女20.94年であった。直近の平成27年の完全生命表では、男19.41年、女24.24年だから、男は2.93年、女は3.30年伸びているし、今後も着実に伸びる趨勢にある。この実勢に合わせる限りでは、現在の増減率は縮小する方向で見直す必要がある。
 一方、経済前提は、平成11年の財政再計算と同様、運用利回り4.0%、賃金上昇率2.5%、物価上昇率1.5%としていた。現在の経済前提は8つのケースを想定しているが、数理計算上どのケースを使用するかによって、違いがでてくる。さらに、当分の間の経過措置とはいえ、平成16年改正で新たにマクロ経済スライドが導入されたことも考慮しなければならない。しかも、基礎年金部分と報酬比例部分とでマクロ経済スライドの適用期間に相当の違いがあり、場合によっては、むしろ増減率を拡大する必要がでてくる可能性もある。
 いずれにしても、本来は、寿命の伸長や経済の実勢に合わせて、受給者の選択に中立的になるよう増減率を見直すべきなのだろうが、相当に難しい判断になりそうである。
 ただし、実際の受給年齢の選択に際して、個々の受給権者がこれらのことを深く検討した上で判断しているとは考え難い。考えるとしても、繰上げ・繰下げの制度上のメリット・デメリットのほか、生涯の名目的な受給総額の多寡を計算する程度にとどまるのだろうが、そうであれば65歳以降の繰下げ受給の選択がもっと増えてもよいのではないかと思われる。そうでないのはなぜだろうか。
 実態は、年金以外の収入がないか、他の収入があっても十分でなく年金を必要としている人が多いのが現状だろう。また、健康状態等から寿命が短いと予想する人もいる。その他、行動経済学の時間選好説でいう「人々が将来よりも現在の利益に大きなウェートを置いてしまう傾向」があげられる。このことは企業年金で一時金選択が圧倒的に多いことでも論じられている(たとえば、社会保障審議会企業年金部会(平成26年10月14日)の資料参照)。

【年金にかかる税・保険料等を考慮した実質所得でみると?】

 しかし、企業年金の一時金選択への偏りは、公的年金等控除に比べてはるかに手厚い一時金の税制上の優遇措置が深く関係しているように、公的年金においても名目額ではなく、税・社会保険料等の負担を考慮した繰下げ後の実質所得でみる必要がある。
 年金額が非課税水準であれば低所得者に配慮した各種の支援が受けられる。課税水準の年金額であってもその額によって、税のほかに医療保険や介護保険の保険料・患者負担等が違ってくる。繰下げにより年金額が増額されれば当然にこれらの負担が増え、夫婦世帯では扶養を受けていた配偶者が年金を繰下げることにより、その配偶者が扶養から外れることもある。
 今後、平成31年10月には、消費税率10%への引上げにより年金生活者支援給付金の支給が施行されるが、その支給も年金額が基準になる。繰上げ減額により支給対象になり、逆に繰下げ増額により支給対象から外れるということが起こり得る。また、マクロ経済スライドによる年金額の調整が本格化すれば、後で受給するほど水準が下がる。
 加えて、政策的にも年齢別から負担能力別の負担への切替えという方針が打ち出されている。特に高齢者については、最近の医療保険や介護保険の改正にみられるように、年金等の所得はいうまでもなく、資産をも考慮した適正な負担が求められる方向だし、公的年金等控除の適正化や非課税年金である遺族・障害年金の課税化など、年金税制の見直しも検討課題になっている。
 いずれにしても、繰下げ後の実質所得でみれば、生涯受給額の均衡年齢は数理計算上の均衡年齢よりかなり高年齢の方にシフトすることは明らかである。が、それもケースバイケースであり、ここで指摘した留意点も含めて幅広い情報提供をして、個々人に判断していただく以外にない。

【私はどう考えるか?】

 そういう私自身は、65歳で定年退職し、常勤の職からは一切退いたが、年金については、早くから、当面の生活に困らない限り、繰下げ受給することに決めていた。だが、私の周りで繰下げ受給をしている人をほとんど知らない。
 共済の加入歴がある受給者の中でも繰下げ受給の人は少ないようで、70歳の誕生日の数日前に某共済の事務局から、親切にも連絡を受けた。「申請を忘れているのではないか。70歳を過ぎても年金が増えないので早く申請をするように」というものであった。70歳まで繰下げる人はほとんどいなく、目立つものらしい。
 繰下げを決めるに当たって、前述したようなメリット・デメリットを一通り考えてはみたが、熟慮したというわけではない。「先のことは分からない」という割り切りだった。
 ただ、「お金の価値は、たとえ等価であっても、困ったときのほうが価値が高い」というのが私の考え方で、それを実行しただけであった。必要に応じて受け取ることこそ年金の価値を最大化する。学生たちにも、「余裕のある人の1万円よりも、余裕のない人の1万円の方に価値がある。これは個人の生涯においても同じだ」という説明で、社会保障による支え合いの意義を語っていたものだった。

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