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好評連載『飽くなき者たち』を語る
〜時代の変化を映す役者の生き様を巡って〜
変わってきた高齢者像、その描かれ方

編集者 芸を極めようとしていたり演じることに挑戦を続けているのが「飽くなき者たち」ということですが、そういう役者たちの姿勢なり出演作というものは、おのずと世の中を反映していると言いますか、社会とか時代の写し絵になっていると思うんですね。それはモチーフとして介護とか認知症などの問題が取り上げられるようになってきたとかいう単純な話ではなくて、老境に入った役者たちの在り様そのものが、ですね。


 いま超高齢社会と言われますが、「老後」というと一昔前だと、定年退職して、年金生活になって、孫におもちゃを買ってあげようとか、旅行に行こうとか、あるいは負のイメージも含めて、「余生を送る人」というステレオタイプがあったと思います。しかし映画で言えば90年代以降でしょうか、徐々に一人の人間として描かれるようになってきた。世の中のいわゆる高齢者についても「余生を送る人」という言葉では一括りにできない、一人一人がどう生きていくかを問われる時代になってきていますよね。


田中裕子

執筆者 それは本当に思いますよね。「余生」という捉え方はつい最近まであったなというふうに思います。田中裕子の回を書くときに『天城越え』を改めて観てみたんですね。その中で過去の殺人事件を30年間追い続けた老刑事を渡瀬恒彦が老けメイクで演じているんですが、その人物が「田島老人」と呼ばれている。今、苗字の下に「老人」を付けるってことはないわけですよ。こんな失礼な言い方はないんですけど、1983年、わずか30年ちょっと前です。当時観たときには気に留めなかったし、世間的にも違和感なく受け止められていました。名前に「老人」を付けるって、ある種「終わった人」ということじゃないですか。映画の中でも「終わった人」としての扱いを受けていて、そんな終わったはずの老刑事が鋭い洞察によって最終的に真犯人を見つける、執念で事件を追っているところにドラマがあるという話で、つまりは前提が「終わった人」なんですね。


 認知症の義父を介護する長男妻を描いた『花いちもんめ』が1985年。その前に有吉佐和子原作の『恍惚の人』が1973年ですか。認知症の、当時は認知症と言わなかったですけれども、「舅」森繁久彌の介護に忙殺される「嫁」高峰秀子という図式。言ってみればステレオタイプなんですね。失われつつあった「おじいちゃんの世話をする献身的な嫁」というものが描かれていたということです。そこには、老いた人はもう余生で、あまり個性もないというような高齢者観が見られます。『男はつらいよ』で笠智衆が演じた御前様のような、隠居した人のステレオタイプな描き方がずっとあって、それにだれも違和感を持たなかった。

石橋蓮司
根津甚八

 それが近年ですと、たとえば石橋蓮司の『四十九日のレシピ』とか、高齢者は年齢を重ねているだけであって一人の人間である、その個人の生き方として描かれるようにだんだんと変わってきている。また根津甚八の回は、当時、彼の俳優人生への送辞のつもりで書きましたが、その後亡くなって弔辞になってしまいました。遺作となった『GONIN サーガ』は、結果的に、かつての戦友たちが用意した、映画作品を通じた彼の生前葬にもなっている。それらはまさに映画が時代を映す鏡と言われる証左だと思いますね。

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