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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
第46回 秋吉久美子のキャリアデザイン
掲載:2018年6月15日
秋吉久美子

 秋吉久美子といえば、妊娠発表時の「卵で産みたい」に代表される型破りな言動や常識外れの不遜な態度を思い浮かべる人も多いことだろう。還暦を越えた今でも、そのキャラクターに大きな変化はないように思えるが、女優としての彼女の経歴は、決して風変わりでもなく、また非常識でもない。むしろ典型的な邦画女優の生き残りのお手本と言えるかもしれない。

 まず、キャリアのスタートが華々しい。『旅の重さ』(1972年)でデビューした翌々年には、『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』と、いきなり年3本もの作品に出演して一大ブームを巻き起こす。加えて、インタビューでの世間に媚びない冷めた発言も話題性抜群だった。彼女は早々にマスコミから「シラケ女優」のレッテルを貼られることになるわけだが、その一方で、型にはまらず自分が思うことを正直に口にする秋吉のスタイルに、少なからぬ人が何か新しさを感じ、受け入れたのも事実である。バッシングを受けた彼女が、その後も干されることなくコンスタントに映画に出演し続けたことがその証左だろう。

 20代の独身時代は、遠藤周作原作『さらば夏の光よ』(1976年)や室生犀星原作『あにいもうと』(1976年)といった文芸作品、あるいは『八甲田山』(1977年)のような大作に出演し、産休が明けると一転して『の・ようなもの』(1981年)で風俗嬢、『さらば愛しき大地』(1982年)で覚醒剤中毒の主人公(根津甚八)の愛人と、ここぞとばかりに役の幅を広げていく。
 30代に入ると、『ひとひらの雪』(1985年)に主演して渡辺淳一ブームに乗り、続く『夜汽車』(1987年)では宮尾登美子ブームにもしっかりと絡み、『男はつらいよ 寅次郎物語』(1987年)でマドンナ女優の仲間入りまで果たす。たとえ脇に回ってもメインストリームからは決して外れないのだ。その一方で『異人たちとの夏』(1988年)では、30年前の世界に迷い込んだ主人公(風間杜夫)の若き日の母親役を、切なさを滲ませて見事に演じ切り、各賞を総なめにして記録にも記憶にも残る名演を見せる。このあたりのバランス感覚はさすがである。
 10代の『赤ちょうちん』から50代の『透光の樹』(2004年)まで、各年代ごとに肌をさらし続けるところも抜かりがない。秋吉にとっては「役柄上の必然」であったとしても、往年のファンにとってそれは「映画館に足を運ぶ必然」になっていたに違いない。女優としてのキャリアを着実に積み重ねながら興行的な期待にも応えていくところに、秋吉流のプロの気概が感じられる。

 近作『「わたし」の人生(みち) 我が命のタンゴ』(2012年)では、認知症の父親(橋爪功)に翻弄される娘役を熱演し、還暦を前に新たな境地を開いている。働きながら子育てを終えた女性が、大学教授に転身して人生の次のステージに進んだ途端、老親の介護に直面するという物語は、非常に切実でリアルだ。こういった現代的なテーマを捉えた作品をこのタイミングで選ぶ秋吉の嗅覚は、相変わらず鋭い。邦画の斜陽時代を生き抜いて来た女優ならではの、しなやかでしたたかなキャリアデザインである。

次回は「いしだあゆみ」を予定しています。

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