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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
第45回 市原悦子の全方位的貪欲
掲載:2018年5月15日
市原悦子

 日本の役者の場合、その活躍の場は、映画、演劇、テレビのいずれかが中心になることが多い。本人の資質や志向に加え、スタッフとの縁なども相俟って徐々に軸足が定まり、やがて映画俳優や舞台俳優と呼ばれるようになっていく。
 市原悦子は、こういった役者の常識の埒外にいる存在である。「舞台女優としてデビューし、その後テレビを中心に活躍」というように、経歴を一口で説明することが非常に難しい。それは単にキャリアが長いからだけではなく、どこに軸足があるのかわからないほど多彩な活躍が現在でも続いているからだ。

 舞台では、30代半ばまで俳優座の看板を背負い、その後独立してからも新劇女優のトップランナーであり続けた。並行して、豊田四郎、川島雄三、勅使河原宏ら名匠の映画にも数多く出演し、中年期以降は邦画史に残る作品で存在感の強い役柄を着実にものにしてきた。
 40代には『青春の殺人者』(1976年)で、夫を殺した息子(水谷豊)もろとも無理心中しようとする母親役を大熱演して注目を集め、50代では『黒い雨』(1989年)で、原爆症に蝕まれていく叔母役を静かに演じて高い評価を得た。60代になると、『うなぎ』(1997年)で心を病んだ母親役を演じる一方、棄老の村を題材にした『蕨野行』(2003年)では、67歳にして堂々の主演を務めてみせた。どの年代の、どの芝居にも、周囲の役者をすべて食いかねない強烈な個性が漲っている。
 テレビでの実績にも触れないわけにはいかない。『家政婦は見た!』に代表されるいくつもの大ヒットドラマの主演だけでも大変なことなのだが、彼女の場合はこれに『まんが日本昔ばなし』での、全登場人物の声を常田富士男と2人だけで演じ分けるというあの神業が加わる。さらにナレーターと朗読でもいまだに第一人者なのだから、役者としてできることはすべてやり尽くそうとするこの全方位的貪欲さは驚嘆に値する。
 最新作『しゃぼん玉』(2017年)でも、その貪欲さは遺憾なく発揮されている。都会で罪を犯した青年の山村での再生を描くこの作品は、主演の林遣都と猟師役の綿引勝彦の好演も光るが、田舎のおばあちゃんになりきった市原の熟達の芝居が群を抜いて素晴らしい。
 頭から血を流して草むらに倒れている2時間サスペンス風の始まり方からして既に市原の独壇場で、彼女を助けた林がなし崩し的に寝食を共にするようになる筋書きそのままに、観客も市原ワールドに冒頭からぐいぐいと引き込まれていく。こたつで焼酎のお湯割りをちびちびと味わう姿や、林の失敗を見てゲラゲラ笑いながら「まーじぃー?」と声をあげる場面など、随所に散りばめられた愛くるしい演技も魅力たっぷりだ。
 田舎の気のいい老婆によって青年のやさぐれた心が癒されていく物語自体に、はっきり言って目新しさはない。その裏側に流れる老いの孤独と悔恨を静かに見つめる視点も、ある意味オーソドックスかもしれない。それでも最後まで見応えがあって心地よい余韻まで残るのは、やはり市原の存在に負うところが大きい。そこには、長年にわたる多彩なキャリアが渾然一体となった、まろやかで懐が深い芝居が息づいている。

次回は「秋吉久美子」を予定しています。

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