HOME ≫ 飽くなき者たち −円熟の輝きを放つ名優の軌跡− ≫ 第41回 イッセー尾形がみたい
連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
第41回 イッセー尾形がみたい
掲載:2018年1月15日
イッセー尾形がみたい

 その昔、演芸オーディション番組で勝ち抜き続けるイッセー尾形のことを、すごく面白いという人もいたが、全然面白くないという人もいた。その後『イッセー尾形がみたい!』という決して安くはないビデオが発売されたときも、買ってでもみたいという人もいれば、そこまでしてみたくないという人もいた。
 名声を得た人物にとって毀誉褒貶はある種の宿命なのかもしれないが、尾形が一人芝居の大家として不動の地位を確立した今でも、この二分された評価は続いているように思える。あのクセのある芝居を、丁寧に作り込まれた蠱惑的な独自性と捉えるのか、作為が透けて見える鼻につく大仰さと捉えるのかで、好悪がわかれるのだろう。どちらの気持ちもよくわかるような気がする。

 映画界で最初に尾形に目をつけた監督は森田芳光である。『それから』(1985年)にはじまって、『そろばんずく』(1986年)、『悲しい色やねん』(1988年)、『未来の想い出 Last Christmas』(1992年)と、森田は個性的な役柄で尾形へのオファーを重ねた。
 尾形を繰り返し起用した監督はあと2人いる。山田洋次と市川準である。山田は、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1986年)以降の5本で、医者や警官といった尾形の一人芝居を思わせるキャラクターで彼をキャスティングし続けた。一方の市川は、『BU・SU』(1987年)、『会社物語 MEMORIES OF YOU』(1988年)、『ノーライフキング』(1989年)のあと、『トニー滝谷』(2004年)では50代になった尾形を主演に据え、一人芝居とはまた異なる、淡泊でも旨味のある彼の別の魅力を引き出してみせた。まったく作風の異なる3人の監督たちが、それぞれの思惑で尾形の芝居を求めたことが面白い。

 近年では、『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年)の日本人プログラマー役や『太陽』(2005年)の昭和天皇役など、海外作品でも高い評価を得るようになった尾形だが、中でも『沈黙‐サイレンス‐』(2017年)の井上筑後守役は、みたい人もみたくない人も必見の出来映えである。キリスト教に強い興味と理解を示しながらも、残虐極まりない弾圧を指揮するという複雑な権力者像を、尾形は見事に演じきっている。劇中で繰り返される、若き神父(アンドリュー・ガーフィールド)との神と日本人をめぐる神学的対話は圧巻の一言に尽きる。
 随所にちりばめられた、尾形ならではの台詞回しや所作も見応え十分だ。あ、あ、あという声だけで家臣に介助を促す、陣笠を取って蒸れた頭を扇子であおぐ、空を目で指して神を見遣る仕草をしてみせるなど、その一挙手一投足、すべてが尾形節なのである。いきなり流暢な英語を喋り出したり、上半身が縮むかのような動きで落胆の感情を表現したりといった、観客の意表を突く芝居も健在である。
 これらの演技に作為や大仰さが感じられないと言えば嘘になる。だが、不思議と嫌味がないのだ。洋画であること、また時代劇であることも味方しているが、その最大の理由は、やはり年齢にあると思う。かつてはともすれば作り込み過ぎて生硬にも見えた芝居が、齢を重ねることで、非常にしなやかで味わい深いものに変化している。改めて言いたい。これからのイッセー尾形がみたい。

次回は「水谷 豊」を予定しています。

この記事はいかがでしたか?
ボタンを押して評価してください。
この記事の感想をお寄せ下さい。
bottom_maincontent
bottom_sidecontent
年住協サポートサービス
住環境整備促進
一般財団法人 年金住宅福祉協会
一般財団法人 年金住宅福祉協会
このページのトップへ