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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
第39回 もたいまさこが無言で語る
掲載:2017年11月15日
もたいまさこ

 能面を思わせる完璧な無表情。腹の据わった揺るぎない身のこなし。その抑制が利いた独自の雰囲気は、ユーモラスであり、不気味でもあり、時として摩訶不思議にも映る。
 もたいまさこのこういったイメージを形作ったのは、人を食ったキャラクターのCMと三谷幸喜脚本のテレビドラマに加えて、彼女が50代に立て続けに出演した荻上直子監督作品の影響も小さくないだろう。とりわけ、『かもめ食堂』(2006年)の空港で荷物が行方不明になったことをきっかけに食堂で働くようになるマイペースな旅人役と、『めがね』(2007年)の毎朝住民と珍妙な体操を続けるかき氷屋の店主役には、浮き世離れした蠱惑的な味わいがあった。この2つの役柄は、もたいの持ち味を余すことなく引き出すとともに、性格俳優としての彼女のひとつの立ち位置を確実なものにしたように思える。

 さらに極めつけは、同監督の『トイレット』(2010年)のばーちゃん役だ。娘に日本からカナダへ呼び寄せられ、英語が話せないまま、娘が亡くなってからもカナダ人の孫3人と暮らし続けているという設定なのだが、本作でのもたいはとにかく喋らない。日本語すら話さず、いつものあの無表情を貫くのである。
 足踏みミシンを使う。小遣いを渡す。餃子を焼いて食べる。ビールを飲む。煙草を勧める。無言で行われるこれらすべての所作が、驚くほど饒舌だ。指1本のみの動きで、小さなため息だけで、そしてたったひと言の台詞で、もたいは孫たちの芝居にしっかりと絡み、物語を引っ張っていく。それは、最小限の演技で最大限の表現を追求してきた、彼女のある種の集大成とも言える。

 自分の演技の幅に自信がなければ、こういう決定的な役はできない。一度極端な到達点を示してしまったら、役者としてその路線を繰り返すことを二番煎じに見られることもあるからだ。『ALWAYS 三丁目の夕日シリーズ』(2005~2012年)のたばこ屋の店主役や、『それでもボクはやってない』(2007年)の母親役など、個性を程良く抑制した役柄でも幅広い演技ができるからこそ、ひとつの路線を突き詰める挑戦も可能なのだ。

 個性を抑えた役柄ということで言えば、『モヒカン故郷に帰る』(2016年)の松田龍平の母親役も非常によかった。松田に向けた母の顔、柄本明に向けた妻の顔、前田敦子に向けた姑の顔、どれもみなさらりと巧いのである。中でも、個性を前面に押し出す前田に対しての、もたいのどっしりとした受けの芝居が素晴らしい。台詞に頼り過ぎない間を重視した芝居は、ここにも活きている。若い前田を引き立てつつ、どこかほっこりとした嫁姑の関係を醸し出すところなどさすがの風格だ。
 一方、得意の一人芝居も健在である。夫がガン宣告を受けたあと、もたいが夜ひとりでテレビの野球中継を観ている場面がいい。熱狂的ファンである広島カープの一打サヨナラのチャンスで、その緊張感に耐え切れずテレビを消してしまい、でも気になってまたつけ、逆転打が出て大喜びし、やがて泣き出してしまう、という一連の芝居には、思わず引き込まれてしまった。ドラマのヤマ場でも何でもないワンシーンでありながら十分に見応えがある。言葉にならない人生の深い哀歓を全身で演じようとする、ひとりの果敢な女優の姿がそこにはある。

次回は「伊佐山ひろ子」を予定しています。

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