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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
高橋惠子は妄想を誘発する
掲載:2015年10月15日
高橋惠子

 作品の中に高橋惠子を観るとき、我々は彼女の決して平坦とはいえない半生を思い浮かべてしまう。もちろん仕事と私事は別物だ。しかし決して不可分ではないのも事実だろう。高橋がひとつの役柄を演じるとき、我々はそこに彼女の波瀾万丈な人生を重ね合わさずにはいられない。

 高橋惠子、当時関根恵子のデビュー作は『高校生ブルース』(1970年)だった。彼女を主演に据えた大映のこの路線は、『おさな妻』(1970年)や『高校生心中 純愛』(1971年)など、わずか2年弱の間に7本もつくられた。
 これらの作品群の魅力は、性的な匂いはもちろんのことだが、高橋が背伸びしているいじらしさや危なっかしさにある。ブルースも、心中も、妻も、すべて大人のものだ。それを承知の上で、高校生なのにブルース、高校生なのに心中、おさないのに妻、としたところに、製作側の蠱惑的でしたたかな狙いがあった。
 そういった世界観に、その脱ぎっぷりのよさも含めて、高橋は見事にハマっていた。ハマり過ぎていた。それゆえに、多くの男たちは役柄を人物に重ねて「本当に危なっかしい女なのではないか」と彼女への妄想を募らせた。妄想の誘発が女優の重要な資質のひとつだとするならば、高橋は最初からそれを持っていたのだ。

 その後、高橋が自殺未遂をしたとき、また舞台に穴をあけて演出家とタイに逃避行したとき、男たちは「本当に危なっかしい女だったのか」と、驚きとともに思ったのである(事実はそれほど単純なものではなかっただろうが)。そして騒動が収まったあとの復帰作『ラブレター』(1981年)を、今度は人物を役柄に投影して観たのだ。ここまで公私綯い交ぜに観られてきた女優もそう多くはないだろう。この作品は当然大きな話題となり大ヒットを記録した。

 そんな高橋が二十数年ぶりに主演した『カミハテ商店』(2012年)を観て唸らされた。彼女のある種の達観を感じたからだ。ネット上で自殺の名所として噂になっている断崖のそばに、コッペパンと牛乳を売るうらぶれた商店がある。高橋はこの店の主を演じている。彼女は自殺しようとする者たちを止めない。黙って最後の晩餐であるパンと牛乳を売り、翌朝、現場からカラの瓶と靴を回収する。それをただ淡々と繰り返すのである。
 これは、公私を重ねて観てください、むしろそう観てください、ということだろう。かつて死のうとしたこともある私が、自殺の名所で毎日パンを焼いて売る役を演じています、それを観てください、という高橋の悟りの芝居なのだ。
 色気はもちろん、愛想もなく、表情すらほとんどない。台詞も極端に少ない。ここまで艶を消した高橋を観るのは初めてだ。自殺客を相手に黙々と店番を続ける姿は、まるで修行僧のようである。侘びしい店が庵に見えてくる。自殺者の靴が位牌に見えてくる。パンをこねる姿が行に見えてくる。
 女優にとって、不祥事は必ずしも不名誉ではない。名誉だとまではいわない。それでも、多様な人生や過剰な生き様を体現して人に見せる生業にとっては、それもまたひとつの価値となりうる。高橋を観てそう思う。

次回は「草笛光子」を予定しています。

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