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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
加藤剛はマジメの
掲載:2015年5月15日
加藤剛

 時代劇の世界にあって、大岡越前は珍しく色気がない主役だ。遠山の金さんも、桃太郎侍も、暴れん坊将軍も、皆ケレン味たっぷりでそれぞれに色気がある。だが、大岡越前守忠相には、人情味はあっても色気はない。むしろ浮いた話が似合わないところに魅力があるキャラクターだ。
 なぜそう思うのだろう。それは加藤剛が30年間も演じ続けたからに他ならない。同じ1930年代生まれの中村梅之助や萬屋錦之介が演じていたら、我々の大岡越前像はもっと違ったものになっていたことだろう。マジメ一筋。実際のご本人もそういう方らしいが、あのどこまでも品行方正な越前像は、加藤剛というひとりの役者の生理が創り出したものなのだと思う。

 加藤はこの役に半生を捧げた。それゆえに、彼にはマジメな役のオファーが集中した。また彼もそれを断らなかった。大岡越前という国民的主役を続けるうちに、そのイメージを崩せなくなったという事情もあったのかもしれないが、指名は使命とばかりに、加藤はひたすらマジメ役を演じ続けた。

 『この子を残して』(1983年)の自ら被爆しながらも長崎の記録を後世に残そうとする医師。『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986年)の夫婦仲のよい誠実な灯台守。『伊能忠敬 子午線の夢』(2001年)のとにかく愚直に歩いて測量を重ねる忠敬。いずれの人物も、ただただひとつのことに向かって日々を積み重ねていく、筋金入りのマジメな人物ばかりだ。
 『砂の器』(1974年)では殺人犯役だったが、加藤が演じれば観客は悪役とは見ない。「確かに彼は罪を犯したが、本当の犯人は別にいる。彼をここまで追いつめたハンセン病差別こそ真犯人だ」となる。加藤の真摯な芝居には、作品の奥深いところまで観客を連れていく力がある。

 数多くの賞に輝いた『舟を編む』(2013年)は、諦念と冷笑に病んだ今の世の中で、マジメの失地回復を、あくまでも肩の力を抜いて宣言するかのような秀作だ。もちろん、いまやマジメの生き神である加藤に声がかからないはずがない。辞書編纂に生涯を捧げた国語学の先生という、これ以上ないハマリ役を、丁寧に、情熱的に演じている。
 「今を生きる辞書を目指すのです」「略語・俗語・若者言葉もできるだけ採り入れたい」と、辞書に収録する用例採集のために、ファーストフード店で女子高生の会話に耳を傾け、時には合コンにすら出向く。一途に、ストイックに、黙々と仕事を積み重ねていくその姿は、加藤の役者人生そのものだ。どんなに時代が変わろうとも、真っ直ぐで熱い生き様は、やはり人の心を打つ。観る者の内なるマジメ心を揺さぶって、ゴロ寝で眺めていた者を座り直させ、やがて正座させてしまうような、スマホをマナーモードにさせ、やがて電源まで切らせてしまうような、もはやそんな境地に達した芝居である。
 作品内で編まれた辞書「大渡海」でぜひ"マジメ"を引いてみたい。きっと用例には"加藤剛のような"と書かれてあるに違いない。

次回は「仲代達矢」を予定しています。

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