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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
石橋蓮司は今日もそこにいる
掲載:2014年11月15日
石橋蓮司

 いくらなんでも出すぎだ。映画、テレビドラマ、Vシネマ。数年に一度は自らが主宰・演出する劇団の舞台にも立つ。ジャンルも問わない。シリアス、コメディ、ホラー、バイオレンス、特撮ヒーローもの、カルト、何にでも出る。テレビでは2時間サスペンス、時代劇、朝ドラ。映画ではベテラン監督とだけでなく、新人監督とも組むし、インディーズでも躊躇しない。

 役者歴60年、現在73歳の石橋蓮司が、自分から頼み込んでこれだけの作品に出してもらっているのでは決してない。当然、呼ばれているのだ。つまりこの現状は、「呼ばれすぎゆえの出すぎ」なのだ。
 老境に差しかかってもなお、あちらこちらから声がかかる。いや逆に仕事量が増えている。こんなに素晴らしい、また格好いいことがあるだろうか。「節操がない」という人もいるだろう。「仕事を選べよ」という声もあるかもしれない。だが、節操のなさも仕事を選ばない姿勢も、ここまで徹底的に貫けば称賛に値する。

 役の幅も半端ない。サラリーマンから奇矯な人物まで演じ分けて無理がない。テレビのサスペンスもので刑事だったかと思えば、北野武監督の『アウトレイジ』(2010年)や三池崇史監督作品ではヤクザに扮する。ヤクザ役ひとつとっても、中間管理職的な立ち位置の組長を演じることもあれば、過激な変態組長を演じることもある。企業を舞台にした作品では、かつては課長あたりの役が多かったが、近年の『金融腐蝕列島 呪縛』(1999年)や『陽はまた昇る』(2002年)では役員役が板についてきた。
 脇役一筋で積み上げた膨大なキャリア。その所々に、『竜馬暗殺』(1974年)の中岡慎太郎役、日活ロマンポルノの傑作『赫い髪の女』(1979年)の運転手役、日本アカデミー賞をはじめ各賞の助演男優賞を総ナメにした『浪人街』(1990年)の母衣権兵衛役など、忘れがたい名演が散りばめられている。

 仮面ライダー(劇場版・2009年)で、奇矯の極北ともいえる死神博士を喜々として演じた石橋だが、近作の『四十九日のレシピ』(2013年)では、妻に先立たれた一人の普通の老人を、きわめて自然に、しかし味わい深く演じている。熱田良平という昔気質の無骨なキャラクターを演じる彼の芝居は逆にどこまでも繊細で丁寧だ。
 この作品は、永作博美、二階堂ふみ、淡路恵子ら新旧の演技派たちが、静かだが激しく火花を散らしていて非常に見応えがある。永作と石橋の"しわバトル"などはなかなかの名勝負だ。永作は「ほうれい線」の深さをあえてさらけ出して「女という性が年を重ねることへの苦悶」を表現し、石橋は「額のしわ」のゆがみだけで「配偶者を失った男の孤独と戸惑い」を語って見せる。
 石橋芝居の白眉は、彼が二階堂ふみに、お前は亡き妻の生まれ変わりではないのか、と詰め寄るシーンである。石橋の演技が本気か冗談かわからない絶妙さなので、その場の空気が一瞬だけ「そういえばこの映画のタイトルは…」とホラー方向に揺れる。「そんなわけはないよな」という彼自身のセリフで観客はすぐにホッとすることになるのだが、あとには狂気と笑いと哀愁がない交ぜになった微かな残り香が漂う。
 その香りはまぎれもなく、変態組長のそれであり、死神博士のそれなのである。つまり、幅は深さなのだ。石橋の芝居はそれを我々に教えてくれる。しかし、当の本人はそれを声高に語ったりはしない。ただただ無節操という節操を貫いて、何食わぬ顔で今日もそこにいるのである。

第4回は「菅原文太」を予定しています。

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