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連載−飽くなき者たち−
飽くなき者たち−円熟の輝きを放つ名優の軌跡−
山崎努の
掲載:2014年10月15日
山﨑努

 ブレイクした時のイメージをその後長年にわたって引きずる役者は少なくない。そういう意味で、『天国と地獄』(1963年)の誘拐犯役は、山﨑努が世に出るのと引き換えに背負った、ある種の"十字架"だったはずだ。
 その強烈なインパクトは、のちのちの役の幅を狭めかねないものだった。だから山﨑は、60年代後半〜70年代前半にかけて、いわゆる悪役のオファーを受けながらも、一方でそれ以外の仕事の幅も広げていったのだろう。『赤ひげ』(1965年)では善良な大工役を演じ、シェイクスピアや安部公房の演劇にも積極的に挑戦した。それは"初犯"のイメージを薄めるためのものだったのではないか。

 しかし、だ。彼はようやくほとぼりが冷めた頃に、またやってしまうのだ。
 『必殺仕置人』(1973年)の「念仏の鉄」がそれだ。しかも大ブレイク。ゆえに二度も演じることになる。山﨑が「同じ役は二度としない」と公言しているのは有名な話だ。なのに、よりによってこの殺し屋の役(正義の味方とはいえ)だけは77年に『新・必殺仕置人』で、わざわざもう一度演じてしまう。
 ダメ押しは同年の『八つ墓村』の殺人鬼役だ。日本刀と猟銃での歴史的大量虐殺。「もう一生そんな役しか来ないよ」というレベルのカタメ打ちだが、彼はここで"確信犯"になったのだと思う。一生"悪"を演じ続ける覚悟と、同時にそれ以外の役も演じ続けて役者人生を全うしてみせる覚悟、という二つの意味において。

 実際、その後の山﨑の役の幅は、狭まるどころか逆に加速度的に広がっていく。黒澤明、勅使河原宏、大林宣彦、寺山修司らの名監督に重要な役どころで呼ばれる一方で、ピンク映画から移った滝田洋二郎や、Vシネマから移った三池崇史、当時新人監督の行定勲の作品にも積極的に出演して様々な役を演じていく。舞台では『ダミアン神父』(1991年・1995年)、『リチャード三世』(1987年)、『ヘンリー四世』(1991年)を経て、ついには『リア王』(1998年)にまで到達する。

 もちろんピカレスクの追求もやめない。『マルサの女』(1987年)の権藤社長役がそれである。山﨑はこの作品で、政界や暴力団とつながりを持つ脱税経営者という"悪"を、知的かつ人間臭く、魅力たっぷりに演じてみせる。作品は興行的にも大ヒットし、その年の各賞も総なめにする。この一作がなければ、その後伊丹十三が映画を撮り続けることはおそらくなかっただろう。

 山﨑は、2000年に紫綬褒章、2007年には旭日小綬章を受ける。極めつけはアカデミー外国語映画賞を受賞した『おくりびと』(2008年)への出演である。ここまで輝かしい経歴を積み上げて、ピカレスクの追求の方はさすがにもう打ち止めだろうと誰もが思ったに違いない。だが、彼にとっては「それはそれ、これはこれ」だったのだろう。まだこんな悪があるといわんばかりに、『藁の楯』(2013年)では、孫娘を殺した犯人に10億円もの懸賞金をかける経済界のドンを76歳で演じている。常軌を逸した懸賞金で国内を混乱に陥れる老いた狂王の姿は、山﨑にしか演じられないもう一人のリア王である。

 山﨑努の飽くなき悪の追求に終わりはない。この人はまだやる気がする。喜寿になっても"再犯"の可能性が高いといわれる役者がどこにいるだろうか。

第3回は「石橋蓮司」を予定しています。

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