特別寄稿

平成前半期の年金を振り返る

神奈川県立保健福祉大学 名誉教授 山崎 泰彦
神奈川県立保健福祉大学 名誉教授 山崎 泰彦

 平成時代を終えるに当たって、本稿では、平成時代の年金改正のうち、現行制度の基本的枠組みを構築した平成16(2004)年改正前の時期に限定して、3つの法改正に係る国会公聴会での意見陳述を中心に、記してみたい。
 公聴会とか参考人質疑というのは、重要法案について、専門家や利害関係者の意見を聞き、審議の参考に資するものである。ただ、実際には、採決を前提に与党主導で開催されることが多く、審議を尽くしたという形を整えるための形式的なものだという批判がなくはない。

平成12(2000)年改正

改正の概要

・報酬比例部分の支給開始年齢引き上げ(平成37(2025)年までに段階的に60歳から65歳まで引き上げ)

・年金額の改定方式の変更(既裁定者の年金(65歳以降)は物価スライドのみで改定)

・厚生年金給付の適正化(報酬比例部分の5%適正化、ただし従前額は保障)

・60歳台前半の厚生年金の適用拡大(70歳未満まで拡大。65~69歳の在職者に対する在職老齢年金制度の創設)

・総報酬制の導入(特別保険料を廃止し、賞与等にも同率の保険料を賦課し、給付に反映)

・育児休業期間中の厚生年金の保険料について、新たに事業主負担分も免除

・国民年金の保険料に係る免除等の拡充(半額免除制度の創設、学生納付特例制度の創設)

・保険料(率)の据え置き(国民年金・厚生年金の保険料(率)については、現下の経済情勢を考慮し、それぞれ据え置き)

・基礎年金の国庫負担割合の引き上げに係る附則の規定(当面、平成16(2004)年までの間に、安定した財源を確保し、国庫負担割合の2分の1への引き上げを図るものとする)

 平成12(2000)年改正法案は、平成11(1999)年7月通常国会末に国会提出され、平成12(2000)年3月に自民・自由・公明の与党三党による強行採決により成立した。


審議会での激しい意見対立

 改正に向けた年金審議会では、意見が大きく分かれたため、厚生省は5つの選択肢を示して意見を求めた。これに対して、労働者側委員は、基礎年金の全額税方式化と最終保険料率がたとえ月収の30%を超えても現在の給付水準を維持する案を支持。経営者側の委員は、基礎年金の全額税方式化、現行の保険料率(月収の17.35%)の維持と給付費の4割程度の削減または報酬比例部分の廃止・民営化案を支持。委員の多数意見は、基礎年金の国庫負担率の2分の1への引き上げと最終保険料率を月収の25~26%程度にとどめるために将来の給付費を2割程度削減する案を支持した。改正法案はこの多数意見に沿って立案されたものである。
 衆議院厚生委員会の公聴会(平成11(1999)年11月25日)では、総報酬制の導入、国民年金保険料の半額免除制度の導入、学生に対する保険料納付の特例、育児休業期間中の事業主負担分の保険料免除などの改善措置について、これらを高く評価した。一方、基礎年金の年金額の改定方式については、基礎年金の趣旨に照らして従来通り生活水準に応じた改定を維持すべきであること、少子化対策として、世代間扶養の仕組みである全国民共通の基礎年金制度のなかに、児童手当や保育手当などの育児支援事業を組み込んではどうかなどの提案をした。

 

基礎年金税方式論の台頭

 ところで、当時の時代背景として、平成10(1998)年8月に小渕首相直属の諮問機関として設置された経済戦略会議の提言「日本経済再生への戦略」(平成11(1999)年2月)の強い影響力があった。委員の構成は、アサヒビール会長の樋口廣太郎を議長に、経済界、学界の著名人10人からなり、竹中平蔵慶応義塾大学教授の名もみられた。「提言」では、社会保障はナショナル・ミニマムの保障にとどめ、基礎年金・介護・高齢者医療を税方式化し、厚生年金を民営化するというドラスティックな改革を求めていた。これは、当時の与党自由党(小沢一郎党首)の主張とも一致していた。そして、基礎年金の税方式への転換については、労使がともにこれを主張していたのである。
 公聴会の質疑では、民主党の山本孝史議員が党の方針である基礎年金の税方式への切り替えを主張され、私に意見を求められた。当時は、翌年4月からの介護保険の施行直前であり、与党内でも自由党や自民党の一部議員から、保険料徴収凍結論が台頭するなかで、円滑な施行が危ぶまれる状況があった。それに対して、民主党は介護保険を推進する立場から、市民運動とともに完全実施を求めて運動していた。そういうなかでの山本議員からの質問であったことから、「介護保険を推進された民主党として、基礎年金をすべて税にという主張をされるとすれば、それは矛盾があるのではないでしょうか」という疑問を呈した。
 以下、これに対する問答を再録する。実は、誰でも年をとる「老齢」は、特定の人に降りかかるリスクを分散する保険制度には馴染まないのではないか、そうであれば税方式で対応すべきではないかという考え方は、ときに学者のなかでも聞かれていたからである。

 

国会議事録から

山本(孝)委員 高齢期になっての医療なり介護なりの現物給付をする場合、しかもそれは、一定の方たちが受ける場合と、年金のように現金給付ですべての人が受けるというようなものと、私は恐らく性格が違うのではないかというふうに思います。
山崎公述人 特定の人がサービスを受けるものであればそれは保険がなじむけれども、すべての人が受け取るものについては税でもいいのではないか、このように理解しましたが、私は、実は年金も同じだと思います。
 65歳まで生存できるかどうか全くわからない状況で、我々は今保険料を納めています。結果的に多くの人が高齢期まで生存し、年金を手にしますが、しかし、年金を手にした途端に亡くなる人もいますし、100歳を超えるまで年金を受け取る方もいますから、保険の対象とする事故としては、病気になることも要介護者になることも高齢者になることも全く同じだというふうに考えております。
 

基礎年金税方式論の結末

 今ではすっかり下火になったが、当時、基礎年金税方式論は、政界では与党自由党や野党民主党の主張であり、経済界や労働界のみならず、学者の間でも有力な主張であった。古くは、昭和52(1977)年の社会保障制度審議会(会長大河内一男)の建議「皆年金下の新年金体系」において提案されたことがあったし、国民年金の納付率が低下し、将来の無年金・低年金者の増加が危惧されるなかでは、文字通り「抜本改革」の決め手であるかのような提案であった。
 しかし、政策技術的には実現不可能な提案であった。これまでの国民年金の加入実績に見合う従来分の年金(現在の基礎年金)をそのまま支給しながら、新たに全額税財源による基礎年金を無条件に支給するのであれば、これを受給する側に立てば万々歳であろう。しかしその場合、従来分の年金を支給する財源はどのように確保するのか、これに厚生年金が上乗せされるサラリーマンの年金は過剰になるのではないか。財源の負担面からも、給付水準の面からも、どう考えても従来分の年金については相当に整理せざるを得ないのだが、その場合、これまでの加入実績が侵害され、「アリとキリギリス」の結末になる。国民的合意が得られるはずがない。
 こうして一世を風靡した基礎年金税方式論はいつの間にか消え去った。代わって、平成16年改正では、民主党から所得比例年金への一本化と全額税財源による最低保障年金が提案され、しかもこれをマニフェストに掲げた総選挙で勝利し、政権政党としてこれを推進することになった。しかしこれも政策技術的には実現可能性に問題があり、今ではすっかり下火になった。

*基礎年金税方式論や民主党の最低保障年金の提案等については、「年金問題を考える」、『年金広報』第10号(通巻655号)、2014.1.15を参照されたい。

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