「訪問看護」とは、看護師が医師の指示によって在宅で療養する患者を訪ね、ケアを行うもの。介護保険や公的医療保険の給付対象にもなっており、在宅医療や自宅での看取りを選択する患者・家族にとって、訪問看護を行う看護師は心強い味方です。今回は、訪問看護を中心に自宅での療養生活をサポートする「在宅療養支援 楓の風」の副代表・野島あけみさんに、わが家で最期を迎えるために必要な心がまえについてお話を伺いました。

野島 あけみ さん

野島 あけみ さん

「在宅療養支援 楓の風」グループ副代表、看護師。藤田保健衛生大学保健衛生学部衛生看護学科卒(保健師)、北里大学大学院看護学研究科卒(看護学修士)、多摩大学大学院経営情報学研究科卒(経営学修士=MBA)。保健所の保健師、病院勤務、昭和大学保健医療学部地域在宅看護学准教授を経て、2006年より現職。訪問看護ステーションの開設・運営を行う。

1自分の意思で決める自分の暮らし

家で暮らし続けることの意味

 治る見込みがない病気によって積極的な治療ができなくなったとき、自宅で診療を受けながら最期を迎えるという選択があります。これを支えるのが「在宅医療」です(「最期までわが家で暮らしたい①~在宅医療ができること~」参照)。在宅医療では、自分の家が日常生活の拠点となり、医療の重点は「治すこと」から「生活を支えること」に移ります。このような選択によって何が変わるのでしょう。野島さんは次のようなポイントを挙げます。

「どこで生きたいか」「何をしたいか」を自分で決める

 「『自宅で最期を迎える』ということは、『どこで死にたいか』の問題ではなく、『どこで生きたいか』の問題です」と野島さんは強調します。「最期」という言葉が示すとおり、間近な死を見据えた選択ですが、治療が難しい病気の人でもただ死を待って過ごすわけではありません。

 「重要なことは、日々をどのように過ごしたいかということ。いい時を過ごすことが大事です。そう考えたとき、自分の家で暮らしたいというのは当然のことで、それを支えるのが在宅医療の役割です。自分の生き方を自分で決めることが大切です。治療についても、昔は、1分でも1秒でも長生きさせるというのが当然とされていましたが、今は、『それは違う。治療が難しいときは、望まないことはしないでほしい』と考える方が増えてきました。時代は変わりつつありますし、これからも変わっていくと思います。」(野島さん)

「患者」ではなく、普通の人として生きる

 病気になって入院していると、「医療者」と「患者」という役割が自然と生じます。しかし、私たちは、患者である前に一人ひとりの人間です。「病気であっても、自分の家にいるときは『普通の人』でいることができます。私たち訪問看護師は、利用者さんが、『がん患者』としてではなく、これまでと同様に『お父さん』や『お母さん』(あるいは、息子、娘など)として生き、最期を迎えられるようにお手伝いしたいと思っています。」(野島さん)

家族にとっての「看取り」

 遺された家族にとっては、「その人の死がどのように思い出されるか」ということが大事だと野島さんは言います。自宅で亡くなるまでの時間を共有することは、家族が死を受け入れ、悲しみを癒すことにつながります。

 「亡くなった方の思い出は、いつまでも家族の心に残り続けます。死は最高の思い出です。また、『看取りの時間を共に過ごしたことで、初めて父を受け入れることができた』という方もいます。死を間近にした方が懸命に生きようとするパワーは大きなものです。看取りを通じて、死を受け入れられたという納得感や、大事な仕事をやり遂げたという感覚が得られることでしょう。」(野島さん)

どうなるかがわかれば怖さは和らぐ

 しかし、多くの人が自分の家で最期を迎えたいと考えていても、それを難しくしている条件があります。現在では、人が死を迎えるのを身近で経験をすることがほとんどなくなっているということです。

 「ご本人も家族も、家で死を迎えるという経験がないため、亡くなる人がどうなるのか、それに対してどうしたらいいのかわかりません。人は、わからないことは怖いと感じます」と野島さん。できれば家で最期を迎えたいと望み、自宅で療養している場合でも、容体が変わると家族は慌てて救急車を呼んでしまい、結果として病院で亡くなることも少なくないといいます。

 「亡くなるまでの経過を知らないため、家族は容体が変化すると『死なせちゃいけない、何とかしなくちゃ』と思って慌ててしまいます。でも、死が近くなったときに、病院でできることも、自宅でできることも大きな違いはありません。どちらにいても亡くなるまでのプロセスに変わりはありません。

 看護師ができることは、日頃から、人がどのような変化を経て亡くなるのかを伝え、それが正常なプロセスであることをわかってもらうことです。例えば、死が近くなった人は、血圧が下がって手足が冷たくなり、眠って意識のない時間が長くなったり、呼吸と呼吸の間が長くなったりします。看護師はこのような変化があることを繰り返し話し、死が間近であることを伝えます。今、起こっているのが自然なことなのだということがわかれば、家族の死を受け入れられるようになります。」(野島さん)

家族で話し合って合意を

 また、家で最期を迎えるためには、家族の合意を得ることも必要です。終末期には、体を思うように動かすことができなくなったり、意識がはっきりしなくなったりすることもあり、亡くなる希望は周囲の人(家族、医療職など)を通じて実現することになります。野島さんは、「どのような最期を迎えたいかについては、できるだけ早いうちから家族で話し合っておくことが大切です」と話します。

 特に注意が必要なのは、近くに住んでいない家族との意思の疎通です。例えば、父親の死が近くなり、知らせを聞いて、外国で働いている息子が久しぶりに帰ってくる。父親と母親の間では家で最期を迎えることに合意ができているのに、それを知らない息子が「お父さんがかわいそう。病院で治療を続けさせたい」と強く主張し、病院に入院させてしまう。そんなケースがあるといいます。

 「土壇場になって看取りの話をしても、すぐに理解してもらうことは難しいかもしれません。あらかじめ家族の間で意思を共有しておくことが大切です。看護師の立場からも、家族の間で必要な話は早めにしておくようお伝えしています。」(野島さん)

 次のページでは、「家で最期を迎える」とはどのようなことなのか、より具体的に伺います。

 

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